書こう書こうと思っていてなかなか書けなかったのだけれども、安保法制、可決しましたね。
いろいろ考えることは多いのだけれど、やはり賛成できません。
いろいろ思うところはあるのですが、
まずは、
集団的安全保障という自国の防衛方法があまり良い方法だと思えないということと、
憲法解釈について専門的な事はなかなか言えないが、やはり第9条の理念は尊重したいと思うこと。
大きくわけてこの2つが理由です。
今回の一連の安保法制の背景はざっくり言うと、中国の脅威の増大とそれに伴うアメリカからの防衛負担要求ということになると思います。中国の脅威というものについては私はこれはあり得べきことであると考えます。というよりも日本は歴史上常に大陸からのプレッシャーにさらされてきたわけで、実際何度も戦争をしています。自国の防衛=大陸からの防衛といっても過言ではないと思うのです。実際中国が攻撃してくるかどうかという事象予測的な事よりも、この国に有史以来植えつけられてきた潜在的恐怖感みたいなものだと思うので、かの国に対して防衛策を練るという事に関しては避けられない事のように思えます。
その防衛策の柱がこの戦後70年ほどは、アメリカとの同盟ということだったわけで、自分では大きな軍事力を持たずに、アメリカには利権をチラつかせて極東地域へ軍事力を出させ、大陸への牽制とするという一面ではしたたかな方法を取ってきたわけですが、それがアメリカの力の衰退とともに立ち行かなくなってきたという事情が今回の背景で、ある種の戦後の日米体制の制度疲労的側面がとても大きいと思います。
市場が成熟したがゆえの資本主義の限界による経済的な衰退がその引き金となっているわけで、武器輸出の緩和で軍需産業に利益誘導するとかという話はまさにそういう事だと思うのです。無理やりにでも市場を作りたいわけですね。人を殺したり建物壊したりしてまでも。その点で言えば今回の事の最も大きく、そして深刻な背景は資本主義自体の制度疲労ということも言えると思います。
なので、制度疲労を起こした策を見直すというのが当然の流れなわけですが、その中でも集団的自衛権というのはあまり良い方法だと思えないわけです。効果がないとは思いませんが、コスト、もしくはリスクが高い。こと大陸からの防衛ということであれば集団的自衛権以外にも方法は取りうるわけです。自国の防衛力を増すでもよい。経済的に取引をするでもよい。利害が一致するロシアやインド、ASEANあたりと仲良くして牽制するでもよい。以前にブログに書いたけど文化・芸術による立国をすることで安全保障を考えるのも良いと思います。現段階では、こと大陸からの防衛ということで言えば、まだまだ他の選択肢は取りうるのではないかと思うのです。
集団的自衛権のメリットとしては軍事力による国際貢献が法的に可能になり国際的発言力が増すということもあるのでしょうが、それにしても経済的衰退を背景に他国に難クセをつけ戦争を仕掛けるようなことを繰り返しているアメリカと一蓮托生で戦争をやるというのは、大陸への牽制力の維持というメリットに比べてあまりに無駄が多いわけです。アメリカだって常に国際世論を味方につけているわけではないから国際貢献によるメリットも失われかねない。
つまり、アメリカとの関係を見直す時期に来ているのではないかと、私は思うわけですね。
日本はアメリカの属国だ!という論調があります。私も日米の関係が対等であると思わないのですが、それはそれで今までそれなりにメリットがあったわけですが、今はそれがもう薄くなってきた。それどころかデメリットが多くなってきた。ならば見直すべきなのではないかと思うわけです。
もう一つは第9条の存在。
以前、幣原喜重郎が秘書官の平野三郎氏に戦争放棄条項について語ったことを記録した「平野文書」ということに関する記事を読みました。
実物を見たわけではないのですが、出典が明らかになっているのでこの内容を信じることにしてますが。(異論があればご指摘願います。)
9条は言わずもがな武力放棄の条項ですが、それはどういう想いで作られたのかということを幣原喜重郎が語っているものです。9条が誰によってつけ加えられたかは諸説ありますし、ここで幣原喜重郎が語る時代背景はすでに今のものとは違うのでそのまま現代に当てはまるとは思わないけれど、そこで彼が語る理想、理念はとても尊いものと思うのです。
---以下引用---
相手はピストルをもっている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。
(中略)
要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。
---
誰もやらない、でも誰かがやらなきゃいけないなら、僕らがやろう。僕はこれはとても素敵な精神だと思います。実に日本人的だとも思うし。
集団的自衛権が合憲か違憲か、ということに対しての法理論的なことというのは僕はまったく知識がなく何とも言えないのですが、9条に対して語られるこの理念はとても尊重したいと強く思います。9条にはこういう背景があったという事実論ではなく、僕は9条に対してこういう想いを持ちたいと思うのです。武力を出すことで国際的に尊敬されるよりも、こういうことで国際的に尊敬されたいといち国民としては思うわけです。日本はいい国なんだぞって胸を張りたいわけです。
なので、解釈スレスレのところでやるのなら、やはりこの9条と向き合うべきだと思うのです。ちゃんと議論したいわけです。
9条は理想的な理念です。現実的ではないし、もちろんそれでは大陸からのプレッシャーは防げない。だけれどもその理念を戴いた上で、現実的な防衛策を考えていくべきなんじゃあないのでしょうか、と思うわけです。
長くなりました。
これが、集団的自衛権に反対する理由。