今日は練馬区議会議員選挙の日。
もったいないくらいのお出かけ日和の中、いそいそと投票へ行ってきた。
国政選挙と違って区議会の選挙はより生活に密接してるもの。議員さんの政策をみても福祉とか子育て支援とか、生活に関わることが多い。投票する人を選ぶにあたって、ネットを中心にいろいろと調べたけれど、難しいものですね。自分の生活を、自分があまり知らない人に託すというのは。
国政選挙なら経済政策やら安全保障政策やら、思想・政治信条やマクロな目線で選べるけど、ことミクロな生活のことになると政策なんて大差ない。みんな便利に平穏に暮らしたいのは一緒だもの。そうするとその人が信用できるかどうかということが気になってくるのだが、いかんせん立候補した人がどんな人かなんて全く知らない人なのだからそんな事わかりようがない。
僕の周囲では選挙のやり方が少し話題になることもあった。特に選挙カーと駅前の街頭挨拶。名前を連呼するだけなのに何か意味あるのかと疑問に思う。何を伝えたいのだろう、と思うがおそらくはそんな事など考えずに常道である選挙戦術を常道だからという理由でやっているだけなのだろう。慣習や常道だってそれなりに効果があった(ある)から慣習や常道となり得ているわけなので全部を否定するつもりはないが、もうちょっと伝えるべきことがあるだろう。少なくとも僕は候補者の名前だけでなく、もっと踏み込んだ、僕が投票する際の基準になり得る意味のある情報が欲しいのだ。
ではさてどんなことを考えている人なのかと候補者をネットで調べてみると、これが意外なほどにHPやブログが充実していない。あきらかに選挙のためにやっつけで作ったなと思われるものや、作ったはいいけどほとんど更新されてないものがとても多い。練馬区は70人くらい立候補していたみたいだけれども、キチンとネット上で情報発信をしている候補者は半数、いや3分の1くらいじゃないだろか。
HPやブログがないからといって議員さんが情報発信の仕事をしていないとは思わない。どっかの県で公費流用して捕まったか辞職したかした議員がいたけれどそれは特殊な例で地方議会とはいえ議員はそんなにサボれる仕事ではないと思う。では何かというと、HPやブログがなくても事足りるのだ。なくても活動に支障がない = 支持者から不満が出ない =『議員の目はネットを主に情報入手先としている世代の方を向いていない』
世代間の差異自体は有史以来つきまとう現象だろうが、ここ10年から20年くらいの間は歴史上まれに見るくらいのスピードで情報媒体が進化した期間であって、そのために世代間の情報入手に関する感覚の差異がこれまでのものよりずいぶん大きいのだ。世代間で共有できる生活感覚の「当たり前」は実はけっこう少ない時代だと思う。ネットを触る世代と、そうでない世代は同じ空間にはいるけれど実は全然違うレイヤーで生活しているといっても過言ではない。特に政治とか選挙とか全世代対象の公事はそういう問題が顕在化しやすい。
ではどうすれば、といえば、こちらを向いていない目をこちらに向けるためには声をあげるしかなく、そのための投票行動だと思って可能な限り選挙は棄権せず行くようにしているのだが。選挙戦のアピール方法や投票所にいって紙を入れるという行動自体が既に僕ら世代の生活感覚からは少しズレて思えるわけで。こちら側から見ればいわばアナログサイドにずいぶんと歩み寄っているような格好で、しかもアナログサイドはそれに気づいてすらないという状況であるならば、ここ数年投票率が低いのもなんとなくうなづける気がする。
まあそれでも行きますけどね。
自分の生活の得になる・・・そう、スーパーの安売りを探していくようなもんだと思えば、行く気にもなるだろう・・・?とそこまで考えて、「スーパーの安売り」という表現がどこの世代まで通用するのかを想像してちょっと可笑しくなった。僕もわりとアナログサイドなのかもしれない。
明日の日の出は 4時54分、日の入は18時24分。
月の出は12時12分で月の入が24時58分。月齢8.3。
昨日がちょうど上弦の半月だったみたいです。
日の入してからドップリ暗くなるまでには少し時間差があるんですね。