昨日は高野山金剛ブー寺に行って参りました。
ワタシ歴史でこの寺の名前を習ってからこのかた、ずっと、金剛峰「ぶ」寺、と読むのかと思っておりましたら、金剛「ぶー」寺と発音するのが正しいようですね。寺の坊さんガイドも、ローマ字のルビもそうなっておりました。
行かねばわからない事というのはあるものですね。
行かねばわからぬ事と言えば。
伊勢、熊野と続けて参詣し、日本の自然信仰で胸いっぱいになったワタシが、高野山で感じた事というのは、
仏さんが何をしてくれんのよ
仏さんて誰よ
ということでありました。
恵みをもたらす自然の神に感謝感謝の心で仏閣に乗り込むと、仏は有難いものですよ、と言われてもイマイチピンと来ないもんです。
だって何よ、仏って。キンキラキンで座ってて何してくれるのよ、この人…。
はてさて。
日本では6世紀半ばに百済の聖王から仏教が伝えられたということになってますが、初めて仏教に接した時の人々の反応てのは、おそらくこんな感じだったのだろうなあと。その後紆余曲折ありつつも仏教は日本の国教的立場になるわけですが、そんな状況の当時の日本に仏教を取り入れようと積極的になる理由は何だろうなと考えると不思議です。
思うに、仏教は信仰ですが、同時に思想・哲学であり、当時の最新科学だったわけで、仏教の導入は大陸の高度な科学と技術を導入するに等しいもんだったんでしょうね。きっと当時の国際情勢なんかを鑑みての現実的な政治判断だったのではなかろうかと。明治維新の文明開化にも重なるところがありますね。その後日本の神道と同居していく様もとても興味深いものですが。
山川など目に見えるものを信仰対象とする原始アミニズムに対して、仏教は一人の人間が考えた「思想」に対する信仰です。仏像などの偶像崇拝があるとはいえ、思想哲学という無形のものが信仰対象になるというのは、明らかに時代が進んだということでもあるんだろうなと愚考いたすわけです。
さてその金剛ブー寺ですが。
弘法大師を祀る奥の院に向かう参道がとても印象的でした。とにかく古今東西さまざまな時代の人の墓が雑然と並ぶ様は、時間の積み重ねを否が応でも感じさせられ、まるで歴史の地層の中を泳いでいるような感覚でした。
高野山に墓を作るというのは、おそらく高価な代償が必要であり、いつの時代でもある種のステイタスであったと思われます。そう考えると、あそこは1000年繰り返されてきた人間の業みたいなものの堆積物のように感じられました。
高野山の次には死にそうな峠道を超え吉野山へ。
こちらは素晴らしい自然を構えるまさに天空の里でした。旅程の関係で滞在時間30分…。勿体無いのでまた来たいです。
その後、鈴鹿に抜け、大学のジャズ研の大先輩に松坂牛をご馳走になる。美味い!最高!四方山話をして昨晩は鈴鹿泊。
今日は紀北町というところで一日遊びます。
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