最近、ピアニストの金子将昭くんとこんなこと始めてまして。
音楽理論マガジン『サークル』
http://circle.musictheory.jp
まあほとんど金子君が作ってワタシはそれに乗っかってるだけなんですが、それだけでは許されようもなく・・。なんか書けと言われて連載をするハメになりました。
とはいえ毎日ブログ書いてる身でそんなにネタもあるはずもなかろう?でしょう?そうでしょう?
ということで連載記事はこちらでもアップして行こうかと思います。
せっかく書いたんだもん。読んでもらいたいし。
音楽を学ぶためには絶対にその成立背景というか社会史を学んだ方がいいというのが持論なんですが、それだけにジャズの歴史とアメリカ史というトピックにけっこう前から興味があって、ミュージシャンや音楽に関わる人物にスポットをあてて調べることで、音楽とその時代をたたき出すことができないかなあと思って、そんな視点からちょっと勉強してみようかという気になって書いてみました。
まあいつまで続くかわかりませんが。島田クロニクルにつづく調べもの連載ということで。
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【ROOT NOTE of JAZZ vol.1 Teddy Weatherford (11 October 1903 – 25 April 1945)】
そもそも、Teddy Weatherfordという名前を見たのは"初期のジャズ"という本の文中だった。
「Erskine Tateの"Static Strut"と"Stomp Off"には20年代後半にシカゴを去り、残りの生涯を極東地域で送ったTeddy Weatherfordによる傑出したソロがフィーチャーされている」(筆者要約)
シカゴを去り、極東地域で生涯をすごしたピアニスト?
そんな変わった人が、この時代に居たのか・・?
さらに彼は同時代のミュージシャンに「同時代のすべてのピアニストに先行していた。奴はまったく素晴らしかった。Earl Hinesを含めてピアニスト全員が真似をした」とまで言わしめている。
調べてみると、彼はひとつの"ROOT NOTE of JAZZ"に大きな関わりがあった。
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Teddy Weatherford。1903年バージニア州ポカホンタス生まれ。十代半ばからニューオリンズに移り住みそこでジャズピアノを勉強し、ミュージシャンとなる。シカゴに移住した彼はLouis ArmstrongやJohnny Doddsなどと共にErskine Tateのバンドなどのバンドで活動した。"初期のジャズ"で取り上げられたように当時の彼のプレイは同時代のミュージシャンに大きな影響を与えたようで特にEarl Hinesはもっともその影響を受けたピアニストとされている。
ここからがテディの面白いところ。
1926年8月、Jack Carter's Orchestraでアジアにツアーに出た彼は、そのまま1934年まで上海に逗留する。バンドがそのまま8年もアジアに逗留したとは考えにくいので上海が気に入ってバンドを離れてしまったと思われるが、かなりの自由人っぷりに萌える。
当時の上海はアヘン戦争後の1842年に結ばれた南京条約によって、欧米諸国の租界地となっていた。租界地ってなんぞ?といえば、平たく言えば植民地。治外法権が認められた外国人居留地のこと。簡単に言えば、中華街で日本の法律が通用しない、みたいな感じのところ。上海の租界にはアメリカ本国から渡ってきたジャズメンや、ヨーロッパでの迫害を逃れて来たユダヤ人、当時アジアで最もジャズが盛んであったフィリピンからのバンドなどが居住しており、言うなれば世界中の最先端の音楽が集まる都市だった。
そこへ音楽を学ぶために多くの日本のジャズメンも上海に渡った。その中は日本の初期のジャズを代表するトランぺッター南里文雄がいて彼は実際にテディに師事している。また山口豊三郎というドラマーは上海でテディのバンドに雇われていたようだ。日本にジャズが入って来た経路は3通りあるとされていて、そのウチのひとつがこの上海経由のルートだと言われている。当時の日本では最新の音楽を学ぶための代表的な留学先のひとつが音楽国際都市"上海"であったようで、テディがその流れのそのキーパーソンであったことは間違いないようだ。(他の2つのルートはまたの機会に。)
その後、一度アメリカに戻ったテディは今度はCricket Smith's bandというバンドのツアーでインド各地およびセイロンやインドネシアまで足を伸ばし演奏活動を行っている。そこでまたもやバンドを離れて長期逗留し、ボンベイ(今のムンバイ)ではホテルのホストピアニストとして活動している。第二次大戦中はカルカッタに住みアメリカ軍のラジオ放送向けの番組制作に携わった。その後そのまま彼はインドで骨を埋めることになる。1945年、カルカッタでコレラで死亡。享年41才。(若い!)
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シカゴやニューオリンズでも一流のミュージシャンであったはずの彼が何を思って極東地域に移り住んだのかは知るべくもないのだけれど、面白いのはこの時代、アメリカのジャズバンド頻繁にアジア地域にツアーを行っており、彼のようにアジアに移住するミュージシャンが珍しくなかったということ。ジャズの創成期にあたるこの時期にジャズの種ともいえるスタイルの音楽が世界中に伝播していったことは、アメリカ本国の発展と平行して各地で各地なりにジャズという音楽が発展していったことを意味する。
現代ジャズになってにわかに非アメリカ系のミュージシャンが注目されているような感じがあるけれど、それはアメリカで発展したジャズが輸出されたからではなくて、各地で本国アメリカと同じだけの"ジャズ"を背負っているという事なのですね。
もちろん、我々日本人も。
今回の"ROOT NOTE of JAZZ"はTeddy Weatherfordが日本に残したジャズの種。
参考文献
「初期のジャズ」
『至高の日本ジャズ全史』
参考webSite
Wikipedia
ALl about jazz http://musicians.allaboutjazz.com/
その他、いろんなブログ記事。