今日の東京は真夏日だったらしい。練馬区も30度近くまで気温が上がった。もうぼちぼち体がこれまでの寒さを忘れ、去年の夏の暑さを思い出し始める季節になった。
そういえばこの島田家のご先祖様を巡る話も去年の夏の終わりに始めたのだなあと思う。もうすぐ一年。すこし放置をしていたけれど、締めを書かなければいけない。
折しもちょうど今、照子ばあちゃんは何度目かの足の手術中らしい。
ばあちゃんの足が少しでも良くなることを祈りつつ、島田家クロニクル最後のお話。
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院庄の大庄屋となった島田家は江戸中期に本家の「元屋」、分家の「築地」とに分かれた。世継ぎがなくなり婿を迎えるなどの紆余曲折はありながらも幕末頃になると「元屋」「築地」の二家だけでなく、本来の姓である「須井」が復活され、また江戸中期に起こされ一度廃家になっていた分家「江川」も同じ幕末頃に再興された。島田家は本家筋になる「元屋」「築地」、そして「須井」「江川」の三姓で一族を構成するに至った。
藤原秀郷から数えて四十代を超えて連綿と続く家だけに家系もとても複雑なのだが、一族の絶対人数がが多いからなのか、幕末明治期にかけては各界で活躍された人物がとても多い。
本家筋の築地には幕末に島田定助という志士がいた。佐久間象山、横井小楠など当時の知識人と交わり、1853年の黒船来航の時にはちょうど江戸に居たようで、浦賀に飛んだという記録が残っているらしい。(津山新聞「院庄ものがたり」より)
また江川家からは大正期に江川義隆という人が出ている。この人は明治から昭和にかけての大阪の天才相場師、島徳蔵が興した商社"島商会"の総支配人となり第一次世界大戦時に世界をまたにかけ辣腕をふるった商売人だったらしい。
また昭和に入ってからは台湾銀行頭取、島田茂。この人は築地の家の出だということ。この人の名前は近現代史の中で名前を見る事があるのでちょっとビックリする。まさか親戚とは。他に菩提寺の清眼寺の住職からの話で未確認情報だけれども、ジャーナリストの江川紹子さんはこの江川家の出だということらしい。とおーーーい親戚ということか。
さて、歴史上の人物が、ここへ来て、だんだんと実像を帯びた親戚の名前になってくる。写真は左が津山新聞「院庄ものがたり」にある島田家家系図。右が、ばあちゃんがもっていたここ数代の島田家の家系図。おそらくばあちゃんが人から聞いて書いたもの。
家系図によれば、築地島田家の当主が島田茂氏だったころ元屋島田家は林太郎という人が当主だった。この人は院庄の菱川という家から島田家に養子に行った人で、我が照子ばあちゃんのおじいさんの弟、つまり大叔父にあたる。この林太郎さんの息子、幸一さん夫婦に跡継ぎがおらず、親戚だった菱川家の照子ばあちゃんに養子の話が来て、照子ばあちゃんは島田家の養女となった。そして後になってじいちゃんが婿として入り、跡継ぎ夫婦になった。
そもそも、なぜばあちゃんに白羽の矢が立ったのかというと、幸一さんご夫婦が何かの用事で菱川の家に訪れた時、そのおもてなしをしたのが当時10代の少女だった照子ばあちゃんだった。その時の印象が幸一さん夫妻にずっと残っていたらしく、菱川から養子をもらうと決めた時にぜひあの照子ちゃんをということで養子にはいることになったらしい。菱川でおもてなしした時からもう10年以上も経ったあとの事だったから、ばあちゃんはずいぶんと驚いたという。
かくしてばあちゃん夫婦が島田を名乗る事になり、その娘(僕の母)が同じく津山の川本家に嫁ぎ、次男坊として僕が生まれたということになる。
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藤原秀郷の時代の須井家からおよそ1000年。
年月が経って世代が変われば色々な物事は忘れられて行くけれど、その一方で何か記憶を残そうとする人の想いというのは本能に近く、強いもののようだ。多少大きな家だとは言え、たかが地方の一庄屋の家系がここまであちらこちらに記録が残っているのは、きっとその本能によるものなんだろうと思う。
去年の夏のばあちゃんの小さな思い出巡りは僕にその想いを伝え、そしてこのブログ記事となり、僕はまた時間をみつけては資料を整理して何かの形で残そうとするのだと思う。こうやって血と記憶はつながって行くのだと実感している。
この記事のきっかけとなった島田家の菩提寺の清眼寺は、ちょうど今時期ぼたんの花が奇麗に咲いているらしい。また折りをみてご挨拶に伺おうと思っている。
清眼寺
http://ww3.tiki.ne.jp/~seigenji/
おしまい
島田家クロニクル その1
http://yujik.exblog.jp/18837336/
島田家クロニクル その2 照子ばあちゃんの思い出
http://yujik.exblog.jp/18854179/
島田家クロニクル その3 ササガニの家紋
http://yujik.exblog.jp/18971529/
島田家クロニクル その4 森忠政公の石碑
http://yujik.exblog.jp/19404670/