弦を替えるとき、弦はねじらずに張らなきゃいけない。弦の鳴りに影響するからね。そのためにはテールピースにかかる弦留めの向きをそろえることが重要だと思ってた。だから弦を替えるときにはまずそこを揃えるように捲こうとしてた。
でもよく考えてみると、ねじらないためには弦の湾曲にそって捲くのが一番で、弦留めの向きなんて別にどんな向きむいてようと音には関係ない。
弦の弦留めの向きを揃えたかったのは、自分の中の「同じ向きで並べておかないと気がすまない」という「好みの感覚」が原因だった。自分の「好み」を正当化するために、それが合理的であるという理屈を自分で考え、正しいと思い込んでいたみたいだ。
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「ホントはこうした方がいい。」
実はシンプルに考えたら納得できる答えが明々白々だったりする。
だけども、例えば関わる人が好きだったり嫌いだったり。それに関わる何かが自分の中の感覚で好きだったり嫌いだったり。そんなことで、ロジカル的には一番良い選択がなされず、全く効率的でない選択がされたりする。そして、気がつかないうちに自分なりの理屈が構築されて正当化されていて、自分の中では感覚・理屈ともに納得のいく最強の答えになっていたりする。
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人は理屈では動かない。情で動く生き物だと思っている。それはとても非効率な場合もあるけれど、でもとても素敵な面もある。そんな人って生き物が好きだし自分ももちろん例外じゃない。
でも、個人の問題ならともかく集団でそれがおきるとややこしい。皆、気がつかない。気づいても動かせない。そうやって理由の無い「感覚」が正当化されて、意味のわからないルールが出来て行く例なんか推挙に暇が無いくらいあるだろう。そういう状況で社会問題化してることは少なからずあるのではなかろうか。原理主義になれと言ってるわけじゃない。感覚の部分と、効率的な部分を認識して、そこからどうするか考えたら、話が上手くいくと思う。
一度冷静になって自分の行動を見直してみたらイイと思う。意外に人って感覚的だし感情的で非効率な生き物なのね。みんながそれを否定せずに冷静に肯定できたら、いい世の中になると思うよ。
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