昨日に引き続き、某所某企画にて某仕事。
WEB関連の記載は一切禁止ときつーい箝口令(?)。
このご時世、個人の発信力の強さとツールを使っている個人の感覚がまだまだマッチしていないから、いろんなトラブルが起こってますね。あたらしいテクノロジーが社会に適合するには時間がかかる。急速に発展したソーシャルメディアも定着した感はあれど、まだまだそういう意味では本当の社会の一部にはなってないのでしょうね。
某所に昼過ぎに入り、本番は夜。まあちょっと長めの待ち時間があった訳ですけれども、今日は共演ミュージシャンといろんな話ができて良かった。
音楽に対する姿勢の話とか、各々感じている社会観まで。以前に書いた僕のブログに関する話題も出た。普段のギグだったらメンバーとこんなにゆっくり話をする機会はないかな。長い待ち時間だったけど、そういう意味でとても貴重な時間だった。
これだけコミュニケーションツールが発達しても、やはり同じ空気を共有して面と向かって直接話をする事が一番大事だと思うんです。これだけ文字を尽くしていろんな事を語っても、所詮は文字。伝わらないものは伝わらないし、誤解を生む事だって多い。
だから僕は、SNSの類いは単なる補完ツールだとしか思っていない。そこに住んでしまっては十分なコミュニケーションなんか取れないもんだと思ってる。そこが僕の線引き。あくまで便利だから使ってる。
先も書いたけれど、以前に書いた僕のブログで僕が多いに反省した点は、世代によって、もしくは人によってそのかかわり方ってずいぶん違うのだなと思った事でした。僕は人はあくまでアナログの付き合いがベースにあると考えていて、多少の調整はするものの、基本的にはその感覚でSNSに接している。でもそうではなくて、実生活機能のかなりの割合をSNSに委譲している人もいる。
僕の感覚では、僕の好きな人だけ見に来るページで僕一人が怒っているというイメージでも、受け取る人にとっては家の玄関先で拡声器で大声で演説してるくらいのインパクトだった、ってコト。そのへんの感覚のズレ。これが問題。これ、一番怖いところは、頭では解っていても感覚としてそれがないとふとしたコミュニケーションで地雷を踏んでしまいがちというとこなんだと思う。
今日メンバーと話して出て来た話題でもあるけれど、自分の感覚で認知できる範囲が本来の世界の全てであって、WEBを使う事でそれ以上の世界にアクセスする事ができるため便利でもあるが、逆に自分の感覚外であるために、オーバーコントロールな状況が生まれてしまう、ということ。
だからじゃあ、世界の全てをアナログにすればイイかというと、僕はそうは思わないけれど。便利なモノは仕える範囲で使えばいい。全ては使う人のさじ加減・・・というワケ。
例えば核技術が、軍事利用も平和利用もされたように、テクノロジーを活かすも殺すもいつの時代もそのマネジメントにかかってる。それは個人だって同じ事。個人ひとりが持ち得る影響力という意味では、核よりもSNSの方がある意味、たちが悪いのかも知れない。
そのあたりは、僕は教育だと思うけれどね。どういう価値観でもってそこへ接するか。これは国をも左右しかねない問題なんだもの。もはや。
・・・とこんな話をしながらの待ち時間。
こんな話してたら4時間なんてあっという間よ。
他にもいろんな話をして、面白い話にもなったから。
それはまた今度。
そういう気分でムラムラ時に。