母方のばあちゃん、島田照子ばあちゃんはとても明るくて穏やかな人だ。
孫の僕らにも優しくて、どちらかと言うと僕らの話をよく聞いてくれる方だ。
その照子ばあちゃんが、僕が家に着いた夜はめずらしく多弁だった。
島田家の家筋、家紋のこと、家の由来に関する事、それまではどちらかというとじいちゃんが孫たちを捕まえて話していたような事をばあちゃんがめずらしく話しだしたので、思わずじっと聞き入ってしまった。
聞けば、ばあちゃんが昔住んでいた屋敷は、江戸時代初期、津山藩主森忠政公の美作入りの際の本陣になっており、その息子の忠広公もその島田家の屋敷で生まれたのだと言う。今は誰も住んでいないその屋敷の前にはその故事を記念する石碑が立っていて史跡扱いらしい。
その事は30年ほど前に津山朝日新聞の連載記事「院庄ものがたり」に特集されていて、ばあちゃんがマメに集めていた新聞のスクラップブックにその記事も残っていた。
最近、ある知り合いからたまたま屋敷の現状と写真をもらったばあちゃんは、昔のスクラップ記事を引っ張りだして来て読んでいたのだという。
ばあちゃんはその記事を指差して、久しぶりにココへ行ってみたいんじゃ、と言う。
じゃあ明日の墓参りのついでに寄ろう。車だからすぐ行けるよ、と言うと、ばあちゃんはとても嬉しそうだった。
結局、墓参りの後に島田家の屋敷とその近所にあるというこれまた島田家に縁のある「貞孝母子の碑」という史跡を訪ねる事にした。
次の日。
僕と母とばあちゃんの三人で、川本のじいちゃんと島田のじいちゃんの墓参りをすませ、一路、院庄へ。iPhoneにばあちゃんが覚えていた住所を入力し、そのナビに頼って屋敷まで向かう。
ナビの差す場所に着くと、ばあちゃんは「?」のまま。ここでしょ?と聞くと、こんな所だったかいな・・と言う。
当の屋敷は草が生い茂って荒れ放題ではあるが健在だった。草に埋もれるように石碑もちゃんとあった。が、70年の間に屋敷の周囲は色々と変わってしまっていた様子で、ばあちゃんはあまりピンとこなかったらしい。ここに溝があったはずじゃが・・・と言うも、見当たらず、隣にあったという家は取り壊されて田んぼになっていた。
70年も経てばもちろん様子も変わる。変わらないものと変わったものの対比がなおさら年月を感じさせる。70年ぶりに屋敷を訪れたばあちゃんのリアクションは淡々としていて特に大きくなく、それがかえって、色々な想いが複雑に交錯しているのだろうと思わせた。
一通り屋敷の周りを回ったあと、もう一つの目的地「貞孝母子の碑」に行く事にしたがこれがGoogleマップにヒットしない。このあたりが現代ツールの限界なのだが、自力で探すもなかなか見当たらないので、とりあえず車に母とばあちゃんを残し、道を聞きに近所にあった清眼寺という寺に寄って見た。
田舎ではこういうアナログな方法の方が確実だ。
境内にいた住職とおぼしき人に、貞孝母子の碑を探している。と声をかけた。住職は忙しそうではあったが、丁寧に碑までの道を教えてくれた。話ついでに、実はばあちゃんはそこの島田の屋敷に昔住んでいて・・・と説明すると、
「あんた、島田家の人なんか?」と、今までの様子とは違った真剣な声で問われた。
ハイ、母方の実家なので、僕は川本と言いますが・・と答えると
「島田家はうちの檀家でお墓はうちの寺にある。縁のある人だ、おばあちゃんをここへ連れて来なさい」と言ってくれた。
住職は僕と母とばあちゃんを寺の座敷にあげてくれ、お茶とお菓子でもてなしてくれた。
それから、島田の屋敷にばあちゃんが住んでいた頃に縁があった親戚の消息、
ばあちゃんが島田の屋敷を出てから後の島田家のこと。
今、島田家は絶えてしまい、屋敷には誰も住んでいないこと。などなど
清眼寺の住職はとつとつと語ってくれた。
語る最中で挙がる人の名前に、ばあちゃんは懐かしそうに、そして興味深そうに、その人たちの消息に耳を傾けていた。
これから法事に出るという住職は話の最後に、ぜひお墓にお参りしていってくだされ、と島田家の墓の場所を案内してくれた。ばあちゃんと母と三人で島田家の先祖の墓に行き、線香をあげると、いろいろな想いが昇華していくような感じを受けた。
こうして偶然清眼寺に寄ったのも、何かが引き寄せた縁なのだろう、と思った。
その後「貞孝母子の碑」に寄り、帰宅。
ばあちゃんは足が不自由で、歩くのはわりと平気だが、車の乗り降りや階段がかなりしんどい。何度も車を乗り降りしてずいぶん疲れただろうに、と思ったけれど、今日は楽しかったと言ってくれた。
帰りに、ばあちゃんがクリームパンを食べたいというので買って食べた。
お墓参りと屋敷巡りの遠足を終えると、ばあちゃんの夏休みも終了。
老人ホームに帰る時間が迫っていた。母と車でばあちゃんをホームまで送った。
帰り際に、ばあちゃんは僕に元気でな、と言う。ばあちゃんこそ元気で、と言うと、
「出来る限り長生きしたいと思うとる。だけどこればっかりは神様のアレじゃからな」と言った。
ばあちゃんの言う神様とは、自分の意志ではどうにも抗う事のできない人や物事の流れのようなものという意味なのだと思う。島田家の屋敷を思い出をなぞって70年ぶりに訪ねて、不思議な縁で親戚の消息を聞き墓参りまでしたこの日、なおさらその「神様のアレ」を感じたのだろうか。
車を見送るばあちゃんの姿がちっさく見えた。
母がよかったわねえと助手席で言っていた。
またすぐ会いにくるよ、と言い訳のように心でつぶやいた。
清眼寺
http://ww3.tiki.ne.jp/~seigenji/
5月にはぼたんの花がきれいに咲くそうです。
つづく
島田家クロニクル その1
http://yujik.exblog.jp/18837336/
島田家クロニクル その3 ササガニの家紋
http://yujik.exblog.jp/18971529/
島田家クロニクル その4 森忠政公の石碑
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島田家クロニクル その5 記憶本能
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