AZALEA
http://sound.jp/yujik/s/azalea.mp3
僕のオリジナル曲に"AZALEA"という曲があります。
「ツツジ」という意味なのですが。
この曲からインスピレーションを得て、
僕の友人のコピーライターが、短編小説を書いてくれました。
読み応えありますが、ぜひライブに来られる前に一読していただけると嬉しいです。
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【AZALEA】
昼間の日射しを浴びるのは本当に久しぶりのことだ。ファンデーションを薄く塗っただけの油断した素肌で家を飛び出してしまったことを今になって後悔している。まだ五月に入ったばかりとはいえ、午前十時の日射しはキラキラとからだに染みる。サイパンの太陽のように、ほんの五分で肌が火傷したような熱を帯びてしまうようなことはないけれど、一旦侵入した紫外線のしつこさはどこにいても変わらない。肌の深層に小さな胡麻粒のようなメラニン色素を沈着させ、ジワリジワリと細胞を黒く塗りつぶしていく。ちょうど東京での当たり前の生活が、私の存在を、知らず知らずのうちに浸食し、痩せ細らせていくように。
だって私は、三十歳を過ぎてしまった。テニス部で真っ黒に日焼けをして、そのせいで妙に歯が白く見えることが可笑しくて、鏡に向かって満面の笑みをつくり、テレビの探険ドキュメンタリーで見た森の奥に棲む原住民の顔真似をした、お調子者の女子高生ではない。
あの頃の私は、部活仲間との日々がすべてだった。…ってフリを、随分上手にしていた。無意識に。自分を騙して。ほんとうは、友達の賞味期限なんて彼氏ができるまでだってこと、心の底でひんやりと、ゼンゼン分かっていたくせに。
もし、今の私を構成する、肉とか骨とか血液とか心とかを全部、化学記号にまで分解することができたとしたら、高校時代とはまるで違うアルファベットの組み合わせになっているだろう。世の中に慣れた分だけ、私の存在は温暖化している。自分で自分を騙せるほど、もう、無意識には生きていない。
普段の今頃なら、空気の薄い地上三十五階のオフィスにいる。家電メーカーのお客様相談室、俗にいうコールセンターで、電話受けをしている。派遣会社の紹介でもう一年以上。
私は会話が得意な方ではないし、アドリブは大の苦手(そもそも会話なんて、すべてがアドリブのようなものだけど、仕事だと思って身構えた途端、喉仏の辺りが遊びのない車のハンドルのように固くなって、思い通りの方向に進めなくなるのだ)。それでも特に困ることなく続けていられるのは、コールセンターってところには一応、話し方のマニュアルというものがあって(一週間も研修を受けるのだけど)、どんな質問が来てもその通りに受け答え(ただ聞き流すことも含めて)すればいいからだ。それに、もしホントに困ってしまったら、リーダーと呼ばれる責任者に電話を換わってもらえばいい。
基本的に、というか、そもそもがそのための場所なのだから当たり前なのだけど、今まで私がとった数百、数千本の電話は、すべてが苦情だ。
なかには家電の苦情を話しているうちに、だんだんと怒りの矛先が世の中に向いてしまう人たちもいる。こんなことだから日本の社会は乱れているんだよとか、昔の日本人にはもっと節度ってものがあったとか、お前だってどうせ結婚までの腰掛け仕事だろう、なんて。
「そんなこと知らねぇよ」って、何度も言い返しそうになったけど、一度だってそうしなかったのは、それが、マニュアルの通用しない電話相手に対する唯一のマニュアルだからだ。
それでも、ピリピリとした感情剥き出しで、あまりに口汚くなじられ続けると、悪意がマニュアルの保護膜を破って体内に侵入してくる。たとえそれが家電に対する苦情であっても、だんだんと自分の人格そのものが否定されているような気分になって、ほとほと滅入ってしまう。エレベーターの中に一時間も閉じ込められているような息苦しさだ。
きっと、画一的なマニュアルが助けてくれるのは、人間における人間性ではなく、人間における機械性だけなのだろう。だから最後は、自分で事態を何とか収束するしかない。自分の人間性を守るために。与えられたものではなく、自分なりのマニュアルをつくって。
私の場合それは、存在を遠くに置くことだ。たとえば、大学時代に一人旅をしたロンドンの街。生まれてはじめて、雑踏の音を聞いた。
私が生まれ育った東京では、店舗に流れるBGMとか、駅やデパート館内のアナウンスとか、大抵は繰り返しの無機質な音声がそこかしこに絶え間なく流れている。だから、雑踏の音はかき消され、ちっとも聞こえない。ちょうど、ネオンサインが点灯する繁華街に夜がないのと同じように。
その点ロンドンは違う。人々の談笑や、恋人同士の痴話げんかや、咳や、くしゃみや、アスファルトを革靴で歩く音や、車のクラクションや、オープンカフェでフォークが食器に当たる音や、ワイングラスを重ね合わせる音が、古い家屋に堆積する埃のように街路を覆い、見事な雑踏の音を奏でている。それは最初、ザワッ、ザワワッと抽象的に聞こえるのだけど、よく耳を澄ましてみると、いくつもの生きている音に分解することができる。恥ずかしいくらい音痴な私が思うのだから、優秀なミュージシャンだったら、どれだけ心ときめくことか。
受話器の向こうでは、世の中のストレスを一身に背負っているような顔つき(見えないけれど、多分)をしたオヤジが、相変わらず、現代の日本社会を(そして、ときどき思い出したように壊れた電子レンジのことを)罵っている。でも、もう私はそこにはおらず、記憶の階段を、一段、また一段と足音をたてないようにそろりそろりと降りていく。大きな深呼吸をひとつして、雑踏の音に耳を澄ませる。
………ザワッ、ザワワッ。その音を聞いているうちに、乱れていた心の揺れが少しずつおさまり、やがてなにも気にならなくなる。相変わらずオヤジの声は聞こえるけれど、その音に含まれた負の因子だけが選択的に、私の鼓膜に届く前に、雑踏の音に吸収されていく。
「とおりゃんせ、とおりゃんせ」目の前の信号のメロディで我に返る。私は踏み出す。短い横断歩道を渡って、駅前広場のベンチに腰掛けてアイツがやって来るのを待つ。首の辺りにチクチクと痛みを感じて後ろを振り返る。花壇に赤紫色のツツジ。そのザラっとした葉っぱの一枚が私をノックする。
小学校からの帰り道、よくこの花を摘んだ。おしべとめしべを引っこ抜いて、花びらと茎との付け根部分に唇を当て、ほんのりとした密の味を吸った。そんなことを思い出しては、またすぐ忘れる。
そうだ、私は今、アイツを待っているのだ、待っているのだ。
今日はせっかくの休日だから、家から一歩も出ずにハードディスクプレーヤーに録りためておいた海外ドラマを観るつもりだったのに。発泡酒と三食分の冷凍食品を買いだめしておいたのに。
アイツからの電話がきたら、慌てふためき、浮き足立って、ろくに化粧もせずに、いそいそと部屋を出てしまった。ホント、我ながら馬鹿だと思う。
「あ、早いね」
もっと馬鹿が、私を見つけて、ニヤニヤしながら近づいてくる。
私はアイツを全体的に見る。アイツも私を全体的に見ているようだ。私は(おそらくアイツも)、お互い何も変わっていないという印象をほんの数秒で確認し合う。だけどそれは、もう若者ではなく、かといって中年ともいえない(いいたくない)中途半端な年齢の二人の変化が、目に見えにくいというだけなんだろう、きっと。
アイツは、鞄から煙草を取り出そうとして、ここが禁煙だということに気付いて止める。「しばらく会ってないから、どうしてるかなと思ってさ」
煙草を鞄にしまいながら、大学の同級生みたいに喋る。事実、そうなのだけど、とっくの昔から、もうそれだけではなくなってしまっている。
私は心の中で、「嘘つき」という。別に私に会いたいわけじゃなくて、私である必然性なんてなにひとつなくて、たまたま、多分、いつかのセックスの記憶(相手は私でないかも知れない)が思い浮かんだから、電話をしてきただけなんだろう。いつもみたいに。
アイツの薬指がピカリと光る。太陽はさっきより高い空にいる。
「お前んち、行っていい?」満を持してアイツが切り出す。予定調和でデジャブみたいだと思う。
「いいわけないじゃん」言葉でノーと言っても、声音がしっかりイエスと言ってる。
ハハハと笑うアイツから、ゲームのスタート音が鳴る。フザケンナと思うけど、ほんとは私、とっくにそれを許してる。イヤ、求めてる。
アイツは私の頭をそっと抱えて胸の中に入れる。男の体温の中で、覚醒したように視界が開けていくのを感じている。もうひとりの私が、地面からほんの数センチ上空で一部始終を見つめている。
ひとりきりのとき、私の視界は、針の穴のように狭くて暗い。その感じが、先細っていく人生を露骨に示しているような気がして、ときどき空恐ろしくなり叫んでしまう。
「イヤダッ」
いつもより力を込めて、白いワイシャツの腕を振り払う。自分自身を振り切るために。
対峙しようと、睨む。だけど、アイツは絶対に私と向き合おうとしない。省エネ志向なのだ。あらゆる現実に対して。
「あ、ツツジ」
少し笑みを浮かべて話を変えてくる。動揺したとき、動揺を隠すためにするアイツの常套手段だ。こんな転調、ルール違反だけど、生きる才能って案外そんなものかも知れない。
その証拠に、アイツが奏でた新しい会話の旋律が、二人の間に生じかけていた淀みを流していく。「花言葉はねぇ、無償の愛っていうんだってさ」
「…ふぅん」私は、これ以上、目の前の世界を拒絶することを諦めて、あいつの空っぽの言葉に空っぽの相づちを打つ。古いコンガで。
花言葉。無償の愛。十年前の私だったら、ロマンチックだなって思っただろうか。五年前だったら気障だなって冷めてただろうか。わからない。わからない。わからない。
わかっているのは今の私が、その言葉が発する、生焼けたコンクリートのような匂いを無感情に吸い込んでいることだけだ。
きっと、磨り減っているのだと思う。バランスの悪い歩き方のせいで、不均衡に削りとられたスニーカーのゴム底のように。
アイツは、まだ何かを喋り続けていたけれど、私にはだんだん何を言っているのか聞きとれなくなっていく。アイツの言葉から意味や色彩が剥がれ落ちていく。無声映画のスラップスティックコメディを観ているみたいだなと、眠りに落ちる瞬間のように思う。
………ザワッ、ザワワッ、ザワワワッ。やがてロンドンの雑踏が近づいてきて、私のからだをのみ込みはじめる。私は朦朧とした意識の中でその音を分解しようと試みる。これは、ブーツがアスファルトを叩く音、これはカップとソーサがカチンとぶつかる音、恋人同士の甘いささやき、苛立ったタクシーのクラクション…。そして、分解された音たちの中に埋もれていた、。
一度失ってしまったら、もう、取り戻すことはできないの?
ハッとして振返る。目の前のツツジの色だけが、少女だった頃と変わらない。
文:千葉暁史
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AZALEA
http://sound.jp/yujik/s/azalea.mp3
この曲も演奏する、僕のリーダーライブが来週あります。
この曲はここでしか、聞けませんので、是非。
2012年4月18日(水)
吉祥寺「strings」
東京都武蔵野市吉祥寺本町2-12-13(TNコラムビル地階)
Tel&Fax 0422-28-5035
http://www.jazz-strings.com/
1st.19:30~
2nd.21:00~
チャージ¥2000(税込)
川本悠自(b)
浅川太平(p)
橋本学(dr)
※このページの文章および曲の著作権は、千葉暁史と川本悠自に帰属します。
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