知らず知らずのうちに、
「この人にはこうであって欲しい」
「こんな事をやって欲しい」
という類いの事をつい、求めてしまって相手を困らせる。
一番たちが悪いのは求めてる方にも、
求められてる方にも自覚症状がない事。
突然、そのストレスの限界が来て、爆発する。
何も求めず、何も期待せず、
相手をそのまんま受け入れるというのは、けっこう難しい。
相手に好意を持てば持つほど。
三十代にもなれば、もう大人だと思っていたけど、
遍く慈愛の境地はまだまだ遠い。
僕の心はまだカドだらけです。
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文章は考え抜いて書く方ですか?
そうでもない・・・色々です。
考えずにただただ書いた方が、生々しくて力のある言葉になる事もあるけれど・・・、
・・ああ、難しいな。表現としてはそれが最高だ。
考えるということは思いつくまで悩む事だけど、
スっと降りて来た言葉に素直に向き合えればそれもありかなと思うけど、
だいたいにおいて文章を書きたいという欲求と、その降りてくる瞬間というのは
一緒ではないから、どうしても考えざるを得なくなるというか・・
そうすると、言葉というメディアのロジカルな性格からして・・・・
僕はね、だからいつもけっこう考えて書く。
こうやって。笑
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twitter他、いわゆるソーシャルメディアって類の台頭で、
オンラインではもちろん、日常のリアルコミュニケーションも、
ビジネスはもちろん、プライベートのコミュニケーションも、
だんだんと、無駄なく目的のみを達成するために簡潔化されてるような気がする。
無駄な情報などの、雑味の多い情報は忌避される傾向にあるような。
「言いたい事だけハッキリ言え」みたいな。
それはそれで合理的で良い事だと思う。素敵な事だ。
でも一見、非合理的で無意味に見える、情報の雑味の中にも
色んな意味があるのだなあと、思ったりもする。
無駄は大切だ
こんな逆説的で、本当なら意味がよくわからないセンテンスが
まことしやかに語られるって、なんだろ。
まあ、いいか。
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花粉の季節は一段落ですか?
僕は花粉症ではないですが、今年はさすがに、外に出る時はマスクが欲しかったです。
街中も、マスクして歩く人が一杯。
小さい頃に読んだ絵本で、環境破壊を警告する内容のものがあったのを覚えていて。
その絵本には、空気が汚染されて、街を歩く人はみんな防毒マスクをしてる様子が描かれてた。
けっこう強烈で、覚えてる。絵本のタイトルも。
その時は、まさか、こんな事になる前に、何とかするだろう、と子供心に楽観してたけど、
今年、街をマスクしながら歩く人々を眺めてたら、ふとその絵本を思い出して、
その絵本の光景そのものだと思った。
着実にあの絵本の世界は近づいているのでしょうか。
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先日、高校の同級生と久々に飲んだ。
月日は経って歳は取ってるけど、誰も何も変わってない。
僕も変わってないと言われた。
こうやって文章を書き散らかすような事も、昔からやってた。
何も変わってない。
懐かしくなった。