19日。
神楽坂にあるコーナーポケットという小さな老舗ジャズバーで震災後初演奏だった。
辰巳哲也さん(tp)、宮嶋みぎわさん(p)とのトリオ。
実はこのトリオで前の日の18日に仕事があったのだが、地震の都合でキャンセルになっていた。
そうした事情もあって、どうしても演奏したい、というバンマス辰巳さんの熱意もあって、
コーナーポケットが急遽店を開けてくれた、といういきさつがあってのライブだった。
地震以来、一週間家から出なかったもので、久しぶりの市街地だったけれど、
意外に、神楽坂は人出も多く、賑わっていた。
家だと、ツイッタやミクシなどのSNSの情報か、テレビから街の様子を想像するしかなく、
どんだけ閑古鳥が鳴いているのだろうと思っていたところだったので、意外だった。
色々混乱はあるけれど、少なくとも東京は被災地ではない。
そう思った。
* * *
家にいる時に入ってくる情報は、やはり過度にデフォルメされているものが多い。
それは僕に限らずきっと他の人も同じ事で、無作為に流れてくる情報の中から
流す側の主観を洗い流し、客観的な情報を取り出す事は本当に難しいことだ。
それらのデフォルメされた情報に触れ続けた結果、
必要以上の悲壮感や不安感だったり、なにかやらないといけないという強迫観念みたいなものを
生み出しているのではないだろうか。
もちろん、被災地の為に何かする事は必要だし、歓迎するべき事だし、僕だって何かしたいととても思う。
だけれど、被災地の人が求めるものを提供できなければ、それはただの空回りに終わってしまう。
気持ちだ、というけれど、気持ちで命は救えない。
気持ちは大事にしつつ、冷静に手をさしのべる時期と行動を考えるべきなんだ、と思った。
一方で必要以上の不安感や、強迫観念を持ってしまった人たちは、買い占めなどの行動に走ったり、
まことしやかに語られる情報を善意や使命感からwebにアップし、過情報状態を加速させ、それが情報の混乱を招き、使命の達成感は得られるべくもなく無力感を味わい、日常を遅れるはずが疲れてしまう。
これが今の東京で、バーチャルで起きている混乱状態なんじゃないだろうか。
みな情報をもとめPCやテレビといった情報端末にかじりつくあまり、
その端末の中の情報混乱を事実と思い込み、窓の外が本当の状態だという事に気づかないままでいる。
かくいう僕もそんな状態の一端にいたことは間違いないのだけれど・・。
外に出てみて街を眺めれば、そうではないことは明らかだ。
街に出よう。日常を送るべきだ。
それが今一番、確実にこの国を復興させるための行動だと思った。
* * *
震災が起きて、ミュージシャンのはしくれとして日本人として、何か出来る事はないだろうかと、
恥ずかしながら社会貢献ということについて、久しぶりに真剣に考えた。
だけれども残念ながら、上に書いた理由から今僕にできることは何もない。
瓦礫を取り除く重機もなければ、医療や原子力の知識もないし、お金もない。
ずいぶんな無力感におそわれながら悶々とした日々を過ごしていたけれど、
この日、なんとなくそれに答えのようなものが見つかった気がする。
ライブの最後の曲が終わった頃、お店に中年のご夫婦がふらりと遊びに来られた。
ライブがある事は知らなかったという。
せっかく来ていただいたので、じゃあもう一曲、ということでアンコール的に
「What A Wonderful World」を演奏した。
するとご夫婦はとても喜んでくれて、奥さんは涙ぐんで、今日、本当に来てよかった、と仰ってくれた。
このところ気分がふさぎ込んでいたので飲みに来たけれど、思わぬ演奏に出会えてよかった、と。
僕らミュージシャンが出来る事はこんなことくらいだ。
直接何か手を差し伸べる事はできないけれど、東京にいる人たちに日常を思い出させる事は出来る。
彼らの心に触れる何かを提供することは出来る。
今は東京で。
そして被災地に少しずつ笑顔が戻って来た頃、被災地に直接僕らが出来る事もあると思う。
それまで、目の前の演奏を精一杯やること。
それが、いま、できることだ。