ボクは突然拉致られた。
あまりに突然だったから、拉致されたという状況の深刻さがあまり実感できず、
危機感を感じることもなく、気分的にはむしろワクワクだったくらいだ。
それまでボクは、古くて高い木造のお堂がある寺の境内で
古装束の闘士が長刀なんかを振り回して戦っているのをぼんやり眺めていた。
今時長刀もないだろうと思うが、二人の闘士はそれはもう、真剣に、
キーンという鋭い金属音を響かせながら刀を交えて戦っていた。
目の前の敵というよりは、何か見えないもっと漠然とした大きな物に立ち向かっているようだった。
そしてボクは、突然拉致られた。
拉致られた僕は、とある建物に押し込められた。
四角くて、味気なくて、これといった特徴のない建物。
そこには、同じ様に拉致られた人たちがたくさんいて、みなそれぞれに不安や不満を口にしていた。なかでも タカダ と名乗る金髪の男性(ボクよりちょっと年上)は不満組の急先鋒のようで、ことあるごとに、脱走しよう、脱走しよう、と周囲に誘いをかけていた。
もちろん例外なく、ボクにも声をかけてきた。
ボクはそんなに大っぴらに脱走話をするなんて当局に見つかってしまうからやめといた方がいいと思ったのだが、それでもこの状況をそのまま受け入れるわけにはいかない。
彼のせわしなくまくしたてるような口調を若干諭すような雰囲気で今ではないだろう、と説明し、しかしいつか必ず脱走しようじゃないか、と強い意志をもって彼に話した。
不満ばかり口にして、いざ具体的な行動の話をすると尻込みする人たちの中で、ボクが比較的中身のある返事をしたからだろう、彼は仲間意識を浮かべた目と口調でボクをみて、オーケー、また必ず連絡するぜ、と言った。
その後、拉致られた人たちはそれぞれ個室に案内された。
さほど広くも綺麗でもないが、清潔で、一人で生活するには十分な部屋で居心地は悪くなかった。
当局は、ボクやその他の人たちに危害を加えるつもりはないらしい。
部屋には窓があって建物の外が見えた。「く」の字型に90度に折れた形をした建物の端と、運動場のように見える中庭が見えた。しかし窓は開かない。施錠されている..というかあける取っ手がない。部屋の入り口も施錠されている。自らの意志で外出はできない。
拉致された目的が全くわからない。
ぼんやりと霞がかかったような感じで、2、3日が過ぎた。
この生活には体が慣れて来たようで、窓から見える景色にも馴染みが出て来たような感じがある。
ただ、ほとんど意識がない感じで、いったい何をやっていたのか覚えていない。
なにか、体のどこかの未開発な部分が開かれているような、そんな感覚があった。
突然、ピリピリと耳につく電子音で部屋の電話が鳴った。
そう、電話があるのだ、この部屋は。もっとも使った事なんかないけど。
出てみるとタカダだった。
タカダは興奮して、あのまくしたてるような口調で、
協力者が見つかった。脱走する方法も考えた。今こそ実行に移すときだ、とボクに話した。
一瞬、電話で話して大丈夫なのか??という危機感が頭をよぎったが、ボクはタカダの計画の詳細を聞きたかった。正直、脱走の話に興味があった。
タカダの話はこうだった。
排水溝に綿棒のアタマ(綿の部分)を流してみたところ、窓の外の排水溝から流れ出るのが見えた。その排水溝はハタケヤマという男の部屋のすぐ横にあって、彼も協力者である。
また建物の受付にはナントカとかいう(名前を忘れてしまった)若い女性がいて、彼女がドラムセットを持っている。
彼女のプレイは最高なんだぜ、とタカダは言った。
実行可能な話かどうか判断をする前に、
話を聞きながらボクは涙がでてきそうなくらい感謝の気持ちであふれてきて、
そうか、彼女にはたくさん感謝をしなければならないね、と話した。
それを聞いてタカダはとても不思議そうなリアクションをした。
なんでこんな時に感謝なんて事を言っているんだ?とでも言いたげな。
ともかくボクは感謝の気持ちでいっぱいになって、電話を切った。
すると、とつぜん、部屋の中にあるディスプレイがまたピリピリと耳につく電子音を上げた。
そう、ディスプレイがあるのだ、この部屋は。もっとも今初めて見たけど。
そこには驚くべき事に、「規則違反者3名、脱走の疑い」と表示されている!!
しまった!やはり盗聴されていたのか!!
やっぱり電話はマズいよ、タカダ・・・なんてツメの甘い・・・!!
すると突然、ボクの目に、一冊の本が目に入った。
なんだ、この本は、こんなものあったっけと思い手にとると、本にはしおりが挟まっていて、そのページには赤線が引いてあった。そこを読んでみてボクは愕然とした。
今まで、タカダと電話で話した内容と、それを聞きながらボクが心の中で感じた事が、一字一句間違いなく、そこには記されていた。
・・・!!
すべて見透かされている!!
なんなんだ一体・・・!!
しばらくして、ボクへの罰則が発表された。
ボクの罰則は、ちいさなハコで、ネズミを一匹飼うこと。
罰則の発表は建物内のミーティングルームで行われ、発表のあと部屋に戻ると、さっそくネズミがハコから脱走して暴れ回った後らしく、部屋中に紙くずやフンをまき散らしていた。
当のネズミは、小さなネズミのぬいぐるみに恋をしてしまったらしく、そのぬいぐるみの横で幸せそうな顔をしていた。
ボクはネズミとぬいぐるみを一緒にそのハコの中に入れてやると、部屋の掃除にとりかかった。
タカダはミーティングで見当たらなかった。もっと重い罰則のようで、建物から追放されてしまったらしい。
ハタケヤマとその若い女性がどうなったかは知らない。
それにしても罰則がネズミを飼う事だなんて、ずいぶん楽だ。
それを当局の人に聞いてみたところ、タカダの電話を聞いた際、ボクが感じた感謝の気持ち、それを評価されたのだという。紙一重だなあと思ったけれど、あのときボクは、素直にそう感じたのだから、それで良いのだろう。
掃除していると、あの本が目に入った。電話の様子が一字一句記されていた、あの本。
そうだ、この本は一体なんなのだ?
ボクとタカダのやりとりがあるページは本の真ん中くらい。まだまだ先がある。
いったいこの先に何が記されているというのだ。
パラパラページをめくったあるページには、ボクが、おそらく数年か数十年後のボクが、今日の事を懐古して話している様子が書かれていた。
"あの電話事件の頃はまだ私自身、それが「加多田」になる修行であるということに気がついていなかったですから"
"自分か一体何に向かっているのかわからない状況では、あれは仕方のなかった事だと思いますが"
"しかしあの電話の時に感じた感謝の気持ち、いま思えば、それが覚醒の一歩だったのかなと"
「加多田」?? 修行??
一体なんの話だ?
この建物にいることは、ボクがその「加多田」になる為の修行だということなのか?
ボクはその「加多田」になるんだ、ボクはそのその「加多田」になれるんだ。
そう思うと何か、スッと溜飲が下がる思いがして、安心感に包まれた。
そしてボクはいつのまにか「加多田」である私として話をしているような気がして、
その本の為のインタビューを受けていた。
--電話事件の頃はまだ体型もスマートでいらっしゃったと思うのですが、「加多田」になるにはある程度の体重が必要かと思います。その後太って今の体型を手に入れられて、「加多田」におなりになられた、ということですね?
"お恥ずかしながら笑"
遠くで長刀を打ち合った時の鋭い金属音が聞こえていた。