レッドクリフ2が公開されておりますね。
劇場に見に行くために・・・と、パート1をDVDで見ました。
三国志史上では有名な・・というか歴史上の一つのターニングポイントにもなった赤壁の戦いがモチーフになっているのは特に説明をするまでもないですが。
三国志演義の中でもこの戦いがインパクトをもって取り上げられているのは、圧倒的な兵力差を知略でひっくり返したという作家垂涎もののドラマ性があるからですね。
この映画は、そのあたりを最大限に堪能できるかと思います。
スケールでかいし、俳優はみんなカッコいいし、文句なし。
主人公の一人の諸葛亮さんですが。
この方は一般の人気、評価のわりに、実は成し得た事は意外に大きくないんです。中国史上、全土統一を成し得た将軍、軍師は他にも何人かいるけれども、この人はそれをなし得なかった。色々な逸話は残っているけれど、歴史上の結果としてはあんまりな気がします。
映画の中で、何回か出てくるんですが、諸葛亮さんの進言が、劉備に却下されるシーン。合理的である諸葛亮さんのアイディアが、情深い劉備さんには受け入れられないんですね。そのたびに金城武扮する諸葛亮さんは悩ましい表情をするわけですが・・。
おそらく諸葛亮さんは、細々とした奇策を練るだけの戦術家が本分ではなく、全土統一をなし得るだけの力をもった戦略家でもあったはずです。しかし、劉備という情に弱い主君の下、かなり制限された状況下で最大限の結果を出そうという努力に奔走して終わったんでしょうね。
でも、おそらく諸葛亮さんは、それでも構わん、と思うくらい劉備という人が好きであったんでしょう。
それは主君であるからというあきらめなのか、今さら曹操や孫のところへ・・という気持ちだったのか実際の所はわからないですが・・史実としても、諸葛亮さんは劉備の死後も、死ぬまで蜀に仕え続けます。諸葛亮さん自身、その状況を良しとしていて、自ら打破しようという気持ちは無かった事は、明らかです。
なんだか銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーを見ているようですが。
というかヤンは諸葛亮がモデルであったのだなあと、今更ながら思うわけですが。
知ってる人だけうなずいてください。
閑話休題。
能力はあるにもかかわらず、トップの仕事が不十分であるために
その発揮する場を与えられず、もしくは恵まれず、状況的に制限された中で最前を尽くす手を考えるに終始してしまう。
この諸葛亮さんのキモチを「孔明ジレンマ」と名付けたならば、現代でもこういう事はたくさんあるんじゃないかな、と。
まあ野村克也監督なんか、かなりそれに似た状況であるんではないかなあと思ったりもします。
組織で動く以上、こういう事は三国志の時代から現代までずーーーと繰り返されて来た、人間社会の抱えるジレンマなのでしょうね。
そんな事をトニー・レオンとリン・チーリンのベット(?)シーンを見ながら考えていたのでした。
近々劇場版も見に行きまーす。